船橋・本町の不動院(船橋市本町3)で2月28日、1746年の津波で溺死した漁師や住民の供養、漁場を守ろうと命を懸けた漁師を弔う「大仏追善供養」が行われた。
1746年の津波で多くの漁師や住民が溺死したことや、江戸時代に漁場の境界を巡る争いの中で、船橋の漁師が相手方の侍を殴打したことで3人が入牢(にゅうろう)したが、牢内では十分な食事を取ることができず餓死したといわれている。
1825年以降、津波で亡くなった人、命懸けで漁場を守ろうとした漁師を供養するため、同行事は毎年2月28日(明治以前は1月28日)に行われるようになった。
今年の供養にも近隣の住民と地元の漁師が多く参加。「二度と海の惨事が起きないように」との願いを込め、大仏の顔や肩などに白飯を盛り付けた。
大仏についた白飯を食べると1年間風邪をひかずに過ごせるとの言い伝えから、大仏から取った白飯を口に運んだり、持参した袋に入れて持ち帰ったりする姿も。
「今日は船橋の漁場を命懸けで守ってくれた先輩方を供養する日。行事を通して、歴史を風化させないよう、毎年皆さんと一緒に供養をしたいと思っている」と船橋市漁業協同組合・組合長の滝口宣彦さん。
「学校の教科書で見て、参加したいと思った。昔は船に乗って魚を捕りに行くことも大変だったということが分かった」と話すのは海神小学校3年生男児。
同組合・専務理事の松本好司さんは「漁師だけでなく津波で亡くなった多くの方のためにも、これからもしっかりと供養していきたい」と話した。