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千葉ジェッツ原修太選手、母校・高根台中で授業 バスケ部員と1対1対決も

全校生徒との記念写真(提供写真)

全校生徒との記念写真(提供写真)

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 千葉ジェッツふなばし・原修太選手が6月11日、母校の高根台中学校(船橋市高根台3)の体育館で、プロ選手としての経験を元にした出前授業「夢を育む集会」を行い、「夢を追うこと」の大切さを生徒に伝えた。

原選手と1対1をするバスケ部員

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 同校の学校教育目標は「夢の追求~自らの生き方を主体的に考える生徒の育成~」。同授業は、この目標に基づき、原選手の社会貢献活動「ハラの輪」プロジェクトの一環で行われた。同日は全校生徒約495人が参加し、原選手が体育館に姿を現すと、大きな拍手で迎え入れた。 

 授業は対談形式で行い、ジェッツのユニホーム着用した同校サッカー部顧問・溝口教諭が軽快なトークで対談を進めた。「中学生の頃は身長何センチだったか」という問いかけでスタート。原選手は「中学生の頃は身長160センチ台で体重45キロくらい。今は187センチあるが、当時はみんなと同じ給食を食べていたし、プロテインなんて大学を卒業するまで飲んだことがなかった」と答える場面も。

 その後、知人のつながりで習志野高校を目指すようになったこと、高校に行っても友達と一緒にバスケがしたかったため友達を習高に誘ってバスケを続けたことなども明かした。当時はまだBリーグがなかったので、「バスケで食べていくという明確な夢はなかったが、大学で自分の実力に手応えを感じたことで、初めて『プロになりたい』という夢を持てた」と振り返った。

 プロになってからは、厳しい指導に心が折れそうになった時期があったことや、同じ時期に「潰瘍性大腸炎」を患い入院したエピソードも披露。入院中、約40日間ボールが触れなかったことにも触れ、「バスケができることは当たり前じゃない。バスケができるだけで幸せなんだと気づかされた」と話した。

 プロでの活躍については、「富樫勇樹選手は、走れる、ドリブル上手、シュートも上手、何でもできる。でも自分は富樫勇樹選手とはできることが違う。じゃあ、自分は何が得意なのか?今のチームの中で必要とされている役割は何なのか?を考えることも大事」とも伝えた。

 その後の、生徒からの質問に答えるコーナーで、「緊張しない方法は?」という問いには「緊張はしていい。むしろ楽しめるようになれば強みに変わる」とアドバイス。「苦手なことより、自分の強みを生かすことを大切に」と力強く語った。

 同校の教育目標「夢の追求」に触れ、「夢がある人は行動を、まだ見つからない人は自分の好きなことを探し、周囲の声にも耳を傾けてほしい」と呼びかけた。「テストの点や部活の目標など小さな目標を大切にすれば、夢につながる。毎日を楽しんで学校生活を送ってほしい」と後輩にエールを送った。

 講演後はバスケットボール部の代表選手4人それぞれが、原選手との1対1対決や全校生徒との記念撮影も行うなど、会場は笑顔と拍手に包まれた。

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