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戦時中の中山競馬場の馬500頭の悲話、「いちかわ市民ミュージカル」が熱演

ステージの様子(競馬場の新しい楽しみ)

ステージの様子(競馬場の新しい楽しみ)

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 市川市文化会館大ホールで9月4日、「いちかわ市民ミュージカル」による公演「夏の光2016~空に消えた馬へ~」が行われた。。

ステージの様子(全国から集められた馬たち)

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 「いちかわ市民ミュージカル」は市民が自主的に運営している芸術文化活動で、2002年の初演以来、市川を舞台とした話をテーマに2年に1度公演を行っている。吉原廣さん作・作詞・演出による今回の公演は、第2次世界大戦中に中山競馬場(船橋市古作1)に集められた500頭の馬の悲劇の物語。2006年に次ぐ2度目の公演で、キャストは公募で集まったノンプロの幼児から70代までの約150人。市川市民のほかに船橋、松戸などの近隣や東京、神奈川からも集まった。

 物語のあらすじは、「陸軍軍医学校中山出張所」が配備され閉鎖された第2次世界大戦中にさかのぼる。全国から集められた500頭の馬が「ガス壊疽(えそ)菌ワクチン」を製造するために生きたまま血液の全量を抜かれ、苦しみながら死んでいったという実話を基に脚色。ワクチンは陸軍の命令で、本土決戦に備えて大勢の兵士の命を救うために製造されたという。

 馬は当時、農耕や輸送に欠かせないものだった。全国から「お国のために」と供出された馬500頭の血液採取を命ぜられたのは、未成年の市川中学校(現・市川学園高校)、船橋中学校(現・県立船橋高校)、船橋高女(現・東洋高校)らの勤労動員。

 ミュージカルの舞台は現代で、80歳の元血清研究所技師(架空の人物)が10歳の時に愛馬「朝風」を供出したころを回想する。作中では全ての命に感謝し平和を賛美するとともに、今も行われている世界中の戦争をなくそうというメッセージが込められている。

 戦時中の馬の全量採血は終戦の1945(昭和20)年8月15日まで行われた。戦後、血清製造所としての役目を終えた中山競馬場は1947(昭和22)年に競馬場を再開。血清製造所はミュージカルの主人公が勤めていた「千葉県血清研究所」と名を改め、市川市国府台2丁目に移転したが2003年に閉鎖した。

 その敷地に明治時代の歴史的に貴重な「赤レンガ建築物」があるが、現在は廃虚と化している。今年1月に大久保博市川市長がその保存を所有者である県に要望していくと表明。市民からも活用を求める声が高まっているという。

 「いちかわ市民ミュージカル」実行委員会の松藤恒夫さんは、「中山競馬場の500頭の馬の話は市川であまり知られていなかった。それを新聞記事で知ったメンバーの提案でこのミュージカルができた。演じることを通じ、子どもたちは戦争がいけないものだと肌で感じたようだ。今年7月には当時馬の採血を行った方を招いて、体験談を話していただき、子どもたちも積極的に質問していた」と話す。「出演者は3世代にわたる。交流を通して世代間のギャップをなくし、市民が芸術文化活動を通して元気で笑いのある町づくりができれば」とも。

 6歳の長女と一緒に出演した矢作聡子さんは「馬のことは知らなかった。子どもはミュージカル出演で戦争に興味を持ち、夏休みに親子で勉強した。老若男女や障がいのある人が同じ土俵に立って活動できたのは貴重な体験。週1~2回の練習はハードだったが得たものは大きい」と振り返る。

 市川市在住で70代の新村さんは鑑賞後、「今の情勢に合わせたストーリーで、表現も素晴らしかった。市川を誇らしく思う」、船橋市在住の40代女性は「馬のことは知らなかった。船橋や市川での悲惨な戦争体験を語り継いでいけたら」と話した。

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