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ふなっしーが「みちのく未来基金」へ寄付 南三陸ミシン工房訪問も

ふなっしー関係者らがみちのく未来基金へ寄付

ふなっしー関係者らがみちのく未来基金へ寄付

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 船橋のご当地キャラクターとして全国に知られているふなっしーが協力する「船橋のなし」「ふなっしーポイントカード」などから発生した寄付金を持って関係者が7月7日、みちのく未来基金事務局(宮城県仙台市)を訪ねた。

南三陸ミシン工房のスタッフ

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 事務局を訪ねたのは船橋駅前で医療法人社団茉悠乃会(まゆのかい)船橋ゆーかりクリニックを営む寺田伸一さんと船橋経済新聞の山崎健太朗編集長。

 今回寄付に当てるのは「船橋のなし」PRに際して、ふなっしー梨箱、ふなっしー梨袋、チラシなどの著作権料。船橋駅周辺の飲食店30店余りが加盟する「船橋F.B.C.」が提供するふなっしーコラボ「梨ドリンク」のコースターに関わる著作権料。ふなっしーポイントカードで昨年末に失効したポイントなどで総額84万9,367円。当日、目録の受け渡しと記念撮影を行い、翌8日、みちのく未来基金口座に振り込まれた。

 みちのく未来基金は、発起人となったロート製薬、カルビー、カゴメ食品の3社からの出向に、途中から合流したエバラ食品工業からのスタッフらで事務局を運営している。必要経費は全て支援4社からの持ち出しで、寄付は全て子どもたちの進学支援に充てられる。

 同基金の支援金は東日本大震災の震災孤児・遺児と認定されれば誰でも学費分の支援を受けることができる。返済義務がないため、東日本大震災の被害を受けた子どもたちの多くが活用しており、4月20日時点で対象となる子どもたち527人が利用している。

 厚生労働省の試算では、東日本大震災による震災孤児・遺児は約1800人。同基金では、震災当時おなかにいた赤ちゃんや、震災発生時に出張や単身赴任などで被災地域を訪れ、震災によって亡くなった人の遺児・孤児も対象としている。事務局の試算では、それらの対象者の支援に約40億円かかるとしているが、現在までに27億円が集まっているという。

 「震災から5年を経て、周囲の方々の関心が薄れているのを感じる。できるだけ早く必要な寄付を集めて子どもたちを支援できる体制を確実にしたい」と事務局の末田隆司さん。「ふなっしーの呼び掛けのお蔭で協力してくれる団体、企業は増えている。ただ、ふなっしー関連の寄付全てがそうと分かるわけではないので詳細な金額については調査できないのが残念」とも。子どもたちの進路については、「卒業生の多くが、震災の影響があったからなのか介護士、看護師、栄養士、保育士、公務員、自衛隊などを卒業後の進路として志望している」と話す。

南三陸ミシン工房は、ふなっしーが初めてオフィシャルグッズを作った際、その製作を依頼した工房。震災で家や仕事を失った主婦たちとボランティアが一緒に作り上げたNPOで、ミシンを通じて仕事を生み出し自立をしていこうと、ミシンを配布するほか、最近ではオリジナル商品の開発や販売なども手掛けている。

 同工房では、規模の拡大による事業化を目的にクラウドファンディングを実施。寺田さんはこれをインターネットで見付け支援を始めた。工房では15人の登録スタッフが活躍しており、12人が実際に稼働、そのほとんどが仮設住宅での生活を余儀なくされている。

 縫製作業はほぼ自宅で内職的に行われる。毎週木曜日にほとんどのスタッフが工房に集まり情報交換やそれぞれの進度のすり合わせなどを行っている。

 「震災後、未経験者が集まって手探りで立ち上げた組織なので、縫製のプロでもなければミシンの技術もバラバラ。未経験者も多かったがLOFTさんやBEAMSなど大手にも満足していただける品質が出せるようになってきた」と代表の熊谷安利さん。

 「宣伝や営業といった部分が、まだまだこれからなので、これからはインターネットでの通販や情報発信の方法などに力を入れていく」とも。

 ふなっしーは、一時的に寄付をするだけではなく、なるべく多くの人が関わって、継続的に支援できる仕組みを作りたいと、ポイントカードや船橋のナシに関するPRに協力している。熊谷さんも「情報を伝える手段がないので来てもらって、現地を見てもらえると本当にありがたい」と話す。

南三陸町の市街地は東日本大震災でほぼ全ての建物が流された。「これまでにも30年周期で大きな津波があったようだが、ここまでの規模は初めてだったとのこと」と熊谷さん。「住宅地は山を削った台地にどんどん移動している。町の話では山を削った土砂を市街地に移動し、10メートルの盛り土をした後で工場や商業施設を建てる計画とのこと」と南三陸町の現在について話す。

 かつて町の中心部だった場所にはクレーンやダンプなどの建設重機が走り回り積み上げ作業に従事している。震災前に1万7000人が住んでいた美しい港町は当時の面影を見ることができない。 小高い場所からであればどこからでも海を臨むことのできた同所では、10メートルの盛り土に遮断され海を見ることがかなわなくなった。

「見る見るうちにピラミッドのような丘が出来上がって、新しい道が開通していく。新しい丘を作ると、そちらへ道を移動させる。気付いたら道全体が台地の上に移動している」と、熊谷さんは大規模な土木工事の感想を明かす。

 「工房のスタッフもほとんどがまだ仮設住宅に住んでいる。志津川小学校の校庭は半分が仮設住宅で使われているまま。少しずつ山を削った台地に住宅地が作られている」とも。

 熊谷さんによると、経済の中心は高台のベイサイドアリーナ周辺に移動しているという。

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