暮らす・働く

船橋で「徳川家康公400回忌街歩き」 家康公没後400回忌に合わせ

徳川家康ゆかりの地を訪れた

徳川家康ゆかりの地を訪れた

  • 0

  •  

 船橋の本町周辺(船橋市本町)で4月18日、徳川家康の公没後400回忌に合わせた「徳川家康公400回忌街歩き」が行われ、31人が参加した。主催は市民団体「ふなばし街歩きネットワーク」。

森田呉服店前で御成街道と戊辰戦争の説明を受けた(関連画像)

[広告]

 当時の庶民の暮らしを思い足跡を学ぶ街歩きは、船橋御殿跡地(本町4)から不動院(本町3)まで約2時間半の行程で実施された。家康や次代将軍秀忠が東金にタカ狩りに行った際、宿泊したとされる船橋御殿は本町通り近くにあり、現在その大部分は民家となっている。

 案内人の仲村章さんの先導で、まずは御殿跡地外周の路地を歩いて東照宮に到着。参加者は御殿の歴史や、東照宮の説明を受けた。

 森田呉服店前では、「本町通りは、家康が佐倉藩に命じ、短期間に造らせた御成街道の一部。戊辰(ぼしん)戦争の舞台になり、多くの死者が出た。そのとき船橋大神宮も焼失した」などと解説された。船橋の橋の由来について諸説ある海老川橋では、「地元民が小舟を並べて橋の代わりとして古代の英雄を渡らせたのが船橋の名の由来」と説明。

 徳川幕府と縁が深く、多大な寄進を受けていたという船橋大神宮では、家康を祭るもう一つの船橋東照宮で現在造営中の「常磐神社」や、江戸時代の船橋出身力士「荒馬吉五郎」を生んだ土俵を見学。家康の家臣である成瀬正成の栗原藩が船橋にあったことも紹介された。

 その後、船橋漁港で地元海産物の買い物を行い、不動院へ移動。大仏の顔や肩に白飯を塗って津波や漁場紛争で命を落とした漁師・住民を弔う「大仏追善供養」の説明に、参加者らは熱心に耳を傾けた。

 イベントに参加した小学4年生の榊凌平くんは「徳川幕府260年の基礎を築いた家康に興味があった。家康が泊まった所に行けてよかった」と話した。海老川近くで育った山本幸子さんは「本町付近では、昔は海が見えたが環境が変わってしまった。しかし、歩いてみると見覚えのある場所が残っていて懐かしかった」と笑顔をのぞかせた。

 同団体副代表理事のさとうももよさんは、「街歩きの案内人である『ふるさと案内マイスター』は現在約70人。200人くらいまで人材を育成し、活動をより活発にして、街のことに関心を持つ市民を増やしたい。関心を持てば、街がきれいに健康に豊かになる」と話した。

エリア一覧
北海道・東北
関東
東京23区
東京・多摩
中部
近畿
中国・四国
九州
海外
セレクト
動画ニュース